「宮城事件」首謀者・畑中少佐の資料公開:陸軍の苦悩と玉音放送直前のクーデター計画
1945年8月15日、玉音放送を直前にして、終戦を阻止しようと画策した陸軍将校らによる「宮城事件」。この事件の首謀者の一人、畑中健二少佐(当時33歳)に関する貴重な資料約150点が、鳥取県立博物館に寄贈され、その内容が明らかになりました。
寄贈された資料には、畑中少佐の自殺後の葬儀の様子を伝える記録や、陸軍大臣名義の香典袋、陸軍士官学校の同期生からの弔辞などが含まれています。香典袋の存在は、陸軍内部に事件への共感があった可能性を示唆しており、終戦を阻止しようとする陸軍のジレンマを浮き彫りにしています。
宮城事件とは?
宮城事件は、終戦を阻止し、本土決戦に持ち込もうとする陸軍の勢力が、昭和20年8月14日夜から15日にかけて、首相官邸や電報局などを占拠し、終戦工作を阻止しようとしたクーデター未遂事件です。この事件は、昭和天皇による玉音放送直前に発生し、日本の歴史における重要な転換点の一つとなりました。
畑中健二少佐とは?
畑中健二少佐は、宮城事件の中心人物であり、陸軍航空審査部第3課長として、終戦工作を阻止するための活動を主導しました。彼は、終戦を阻止するためには、天皇の意思を無視してでも行動すべきだと主張し、事件の実行に踏み切りました。しかし、事件は未遂に終わり、畑中少佐は自決しました。
資料から見える陸軍の苦悩
今回の寄贈資料は、陸軍内部の複雑な思惑や、戦争終結に対する様々な意見が存在していたことを示しています。陸軍大臣からの香典袋は、畑中少佐の死に対する弔意を示すとともに、陸軍内部における事件への共感の存在を示唆しています。同期生からの弔辞は、畑中少佐の思想や行動に対する理解と共感があったことを物語っています。
これらの資料は、宮城事件をより深く理解するための貴重な手がかりとなります。鳥取県立博物館では、これらの資料を展示し、一般公開することで、宮城事件の真相や、当時の陸軍の苦悩を伝えるとともに、平和の尊さを訴えていく予定です。
関連情報:
- 鳥取県立博物館: https://www.tottori-museum.jp/