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「悪法」に抗い、餓死を選んだ判事の悲劇:食糧難の時代、正義を貫いた山口良忠判事の物語

2025-08-24
「悪法」に抗い、餓死を選んだ判事の悲劇:食糧難の時代、正義を貫いた山口良忠判事の物語
産経新聞

昭和22年(1947年)10月11日、深刻な食糧難に苦しむ日本で、一人の判事が栄養失調により亡くなりました。その名は山口良忠。彼は、国が厳格に食糧を管理する食糧管理法下において、闇市で取引される違法な食物を決して口にせず、餓死という最悪の選択をしました。これは単なる餓死ではなく、「悪法」に殉じた、法と正義を重んじる判事の悲劇的な物語です。

戦後の混乱期、食糧管理法は国民の命をつなぐ重要な役割を担っていました。しかし、その統制は厳しく、闇市が横行する一方で、法はしばしば人々の生活を圧迫していました。山口良忠は、闇市を裁く立場でありながら、「食糧統制法は悪法だ」と確信していました。彼は、法律の形骸化と、それによって引き起こされる人々の苦しみを深く憂慮していたのです。

判事としての職務を全うしながらも、良忠は闇市で手に入る食物を口にすることはできませんでした。それは、彼の持つ強い正義感と、法への忠誠心から来るものでした。しかし、日々の食糧不足は深刻で、彼の体は徐々に蝕まれていきました。家族は彼の苦境を目の当たりにし、心を痛めていました。良忠の妻や子供たちは、彼の決断を理解しつつも、彼の健康を案じ、闇市の食物を口にするように懇願しました。しかし、良忠は決して折れませんでした。

良忠の遺志は、親族によって語り継がれています。彼の娘や孫たちは、良忠の持つ強靭な信念と、家族への深い愛情を今に伝えています。「おじい様は、法律を守ることと、人々の苦しみを省みることを両立させようとしたのです。それは、非常に難しいことでした。しかし、おじい様は、自分の信じる道を貫き通したのです」と、良忠の孫娘は語ります。

山口良忠判事の物語は、戦後の日本における法と正義、そして人間の尊厳について深く考えさせられます。彼の行動は、単なる個人的な信念の表明ではなく、社会全体が抱える矛盾を浮き彫りにするものでした。彼の悲劇は、私たちに、法律の存在意義と、その運用における倫理的な問題を改めて問いかけているのです。

良忠の決断は、現代においても教訓を与えてくれます。法律は、常に人々の幸福のために存在すべきであり、時に、法律に抗って、人々のために行動することが正義であるということを、良忠の姿は私たちに教えてくれるのです。

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